電動スクーターのように・・・


30年前のスミスモーターは4サイクルで、178ccもあってようやく1.5馬力でしかありませんでした。


戦後の2サイクルは、50ccでその程度は楽に出せます。


・・・しかも小形で軽く、自転車のフレームの中に何の苦もなく収まるのです。


今で言う電動スクーターのように画期的なものでした。


さて、ここまでの進歩は主にどの面で行われたのかを回想してみると、乗物自身の面もむろんありますが・・・


戦時中、各種の携帯用小形動力の面で強力に改良進歩が推進されたことも大きく利いていますね。


・・・なお、もう一つ逸することのできないのは、模型飛行機用のエンジンです。


当時、これはもれなく2サイクルガソリン機関で、気筒容積は1.5~20ccで、出力ほぼ1馬力程度にまで達していました。


人間が自転車を駆動するときの馬力は最高でも0.5馬力内外であるので、模型用エンジンで十分にその要求を充足できることは自明です。


よって、戦時中上記の小形エンジンを扱った人々の間でこの種のものをバイクモーターに転用する意欲がわいたのは極めて自然の成りゆきといえるでしょう。


夢見たバイクとガソリン事情


性能上の劣性がこれの衰亡の主因ではなかったでしょうか?


・・・なお、それと合わせて、戦時中は「ガソリンの一滴は血の一滴」の標語にも見られる事情がきいたと思います。


ともかく、当時の人々は、自転車の荷台に30kgくらいの荷物を積むことはざら・・・。


それで1日100kmくらいも走行したそうですが、それでいて、補助エンジンを付けたいなどという大それた欲望はとても起きなかったのです。


しかし、戦後の昭和27~28年(1952~1953年)ごろとなると、ガソリン事情はずっと好転しました。


しかし当時の人々の懐具合の回復ははかばかしくなく、とてもスクーターには手が出ません。


それに比ベバイクモーターなら1/3くらいの値で入手できるので、わたしの祖父などもまずそれに飛びつき、ようやくにして長年夢みたドライバーの仲間入りができたという次第でした。


今売られている電動スクーターくらいの値段だったら手に入りやすいのですけどね。


・・・なお、この大流行をきたすことの技術的理由も重大です。


それは、そのころになってようやく2サイクルエンジンの性能が上がり、エンジンの排気量が50cc・・・


あるいはそれ以下(25cc程度)でも自転車を走らすに十分なほど伸長したということです。


電動スクーターについて


オートバイもスクーターの両者とも、世界的には決して新顔ではありません。


・・・しかし日本では戦後初めて一般に知られたもの。


それが相携えて、戦後窮乏の極にあった日本の乗物界の寵児となったのですから、奇妙とも思われます。


・・・しかし察するところ、窮乏の日本において、前者は乗用車の代用、後者は小形運搬車の代用として、まさにうってつけであったのだと思います。


しかし、もう一歩さかのぼって、これの普及がなぜ戦後まで持ち越されたのかも詮索の要があるかも知れません。


すでに1917年の頃、スミスモーターというバイクモーターが日本に輸入されました。


これはモーター駆動の車輪を、自転車の後方車輪の1側に近接して取り付け、これによって推進する方式で、全体では数百台輸入されました。


しかし、その程度で終わり、いつか忘れられてしまいました。


出力は約1.5馬力。


目方のことは不明ですが、たぶん相当に重かったと思います。


現在とても人気のある電動スクーターなどは、かなり軽量化されていますね。

こんにちは。


今日から、 こちらでブログを始めさせていただくことになりました。


ここでは電動スクーターについてのことを中心に、バイクの歴史などを紹介していきたいと思っています。


初心者ですが、今日からどうぞよろしくお願いいたします。


ではまず、オートバイ大流行の先駆・・・


バイクモーターの話をしたいと思います。


バイクモーターとは、あり合わせの自転車につける小形モーターのことで、現在の日本ではほとんど1台も路上で見ることはないのですが、戦後の昭和27年(1952年)ごろから30年代初頭にかけて大流行。


本格的オートバイが大流行となるまでの数年間、いわば橋渡しの役を務めたことで特記される値打ちがあります。


ただしこれの大流行の時期は、スクーターの場合より幾年か遅れています。


ですから、後者を先駆第一陣とすれば、これは第二陣ということになります。


しかも本物のオートバイのブームの到来とともに、両者ともその役目が終わった感じとなり、にわかに色あせて凋落の道をたどるのです。